おのづか まさとし(小野塚勝俊) 民進党衆議院埼玉県第8区(所沢市・ふじみ野市・三芳町)総支部長

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政治家を志した理由

駅立ち

「なぜ、日銀の銀行マンが政治家になったの?」

そんなご質問をよくいただきます。
確かに「政府の銀行」たる日銀にいれば将来は安泰。それなのに本当になれるかもわからない国会議員を目指して政治家になろうなんて、一体全体どうして?そんな疑問を持つ方が多いようなのです。

私も最初から政治家になりたいと思っていたわけではありません。日銀に入行したときには、日銀を辞めるつもりなど露ほども考えていませんでした。 そんな私がなぜ政治家になったのか?政治家をめざした当時を振り返りながら、お話ししたいと思います。


資金難を苦に自殺する経営者

街並み

何もできない無力な自分を痛感した2年間でした

日銀では、東京の本店だけでなく地方の支店勤務も経験したのですが、その中で最も印象に残っているのが2000年に赴任した大阪支店での2年間です。 当時、景気は全国的に悪かったのですが、関西の金融界は特に厳しい状況でした。私はそんな中、関西の景気調査や経済分析を行うために多くの中小・零細企業、商店、団体の方々のところへ一軒一軒足を運んだのですが・・・。中小企業の社長さんのご苦労、苦悩を目の当たりにする毎日。資金難を苦にして自殺する社長さんも・・・胸が潰れるような思いでした。

そういう方たちを目の前にして、何もできない自分。なんでこんなことになるんだという憤り。憤りながらも、日銀のような潰れない組織で働き、安全なところにいる自分は何なんだ?という自分への疑問と無力感。

「自分に何ができるのだろうか?」
「どうしたら苦しんでいる方たちを、楽にしてさしあげられるのだろうか?」

自問自答する毎日。でも、私の中で明確な答えは見つけることができませんでした。


日銀で目にした残念な政治

日銀

日銀で国会担当を4年間つとめました

その後戻った東京の本店で、私は「政策委員会室」へ配属され、約4年間、国会担当という仕事に従事。その中で与野党の多くの国会議員の方々とお会いし、議員の方たちの仕事を垣間見る機会に恵まれました。
でも私がそこで見たもの。それは「残念」としか言いようがない政治だったのです。

先ほど申し上げたとおり国会担当の前は大阪におりましたので、自殺してしまう中小企業の社長さんもいらっしゃるほど、厳しい経済状況だったのをこの目で見ていました。私は政治家はそういう人たちを救うために日夜努力をなさっていると信じていました。厳しい経済状況を何とか変えるために、寝ずに考えているような方たちの集団が国会議員だと思っていたのです。

でも、現実はそうではありませんでした。
国会担当だった私が見たのは、政策は官僚に任せきりで、会議といってもたいしたことはやっていない、そんな国会議員たちの体たらくでした。ショックでした。なぜこんなことが起こっているんだと。愕然としました。

これは当時政権を執っていた自民党だけに限りません。民進党も他の政党もみんな同じようなものでした。私は今、民進党に籍を置く身ですが、民進党が当時から素晴らしかったとか言うつもりは毛頭ありません。民進党だって同じようなものでした。


自民党の他に政権を担える政党をつくること

国会

政権を担える政党を自民党の他につくる!私の決意でした

なぜこんなに「残念な政治」がはびこってしまうのか。
私なりに出した答えは、政権与党である自民党の向こうを張れる、自民党を脅かす政党が他にないからだ、というものでした。
当時(2002~2006年頃)の自民党は、長期政権で、大変な人気を誇っていました。しかも野党の力は弱く、政権交代など起こりそうもありません。自民党が何をやっても、どんな失策をしても、取って代われるほどの政党がいない。だから「残念な政治」をしていても大丈夫。そんな緊張感がまったくない状態に陥っているのではないかと思ったのです。

この状態を放置せず、政治を良い方向へ持っていくためには、自民党の向こうを張れる政党が存在しないとだめだ。政権を担うことが可能な政党を作り上げなければいけない。
私はそう考え、当時最も可能性のあった民進党に馳せ参じ、民進党の党員として政治家を目指すことにしたのです。


政権を担わせていただいたのに・・・

平成21年に政権をになうこととなった民進党ですが、次の選挙では政権を譲ることとなりました。民進党にご期待いただいた皆さまには、本当に申し訳ない気持ちで一杯です。
しかしながら、国民の皆さまとともにある政治を行わないと、すぐに政権の座から転げ落ちてしまうという得がたい教訓を、皆さまは与えてくれました。
だから私は、この二年間、懸命に勉強してまいりました。今度チャンスを与えて頂いた時には、ご期待を裏切ることなく、もっと素晴らしい日本が作れるよう自己研鑽を積んできたのです。
まだまだ力不足の民進党ですが、でも、だからこそ「経済のプロ」としてこれからも頑張っていきたいと思います。

日銀での経験を「経済のプロ」として国政の場で活かしたい

おのづか

今この時だから。経済のプロにおまかせください。日銀出身のおのづかです

日銀に入行した当時は辞めることなど露ほども考えていませんでした。しかし、大阪支店での経験、そして国会担当の際に見た政治の実情。
自分にできることは何か?その自問の答えは、
  • 政治家になって自民党の向こうを張れる、政権を担える政党を作りあげること
  • 日銀での経験を「経済のプロ」として国政に活かすこと

だと感じました。だから私は政治家になったのです。

私の日銀での12年経済や金融の知識はきっと国政に役立てられることと思います。
今この時だから。日銀出身のわたくしが、お役にてるのではないかと思います。どうか、今この時だからこそ、日銀出身「経済のプロ」である、わたしおまかせください。どうかご支援をよろしくお願いいたします。


おのづか勝俊の決意

日銀で見た「唖然」とする政治家の姿

雪の中の街頭演説

私は、大学卒業後、12年間、日本銀行に勤めていました。
朝6時台に家を出て満員電車に乗り、帰宅は毎日0時過ぎという生活。
日銀では、零細企業から大企業まで一軒一軒足を運んで経済分析、金融機関の破綻処理、国の財政調査、国際収支の企画・調査分析、日銀を代表して国会議員との渉外、国際会議への出席などを行いました。

私が日銀に勤めていた12年間、日本中で零細企業から大企業まで、皆さんが死にものぐるいで働いているにも拘らず、企業の倒産が相次ぎ、更には自殺を選ぶという悔やみきれない悲劇の連続。

本来、個人や企業を支えるはずの金融機関は不良債権処理に追われ、多くが破綻。破綻しなくても合併・統合により、次から次へと名前が変わり、個人や企業に構っている余裕がない。「何がどうなってしまっているのか」怒りにも似た思いで私は働いていました。


おのづか勝俊の決意

2000年~02年、私は大阪支店に配属されました。
当時の関西経済は、底が抜けそうな危機的状況。全国平均より、ダントツに高い失業率、金融機関が連鎖破綻してもおかしくない「金融火薬庫」と言われた地域でした。
どうすれば関西経済を、日本経済を蘇らせることが出来るのか、模索する毎日。日銀が、ゼロ金利政策、量的緩和政策などいろいろ打ち出してみても先が見えない。そのような時期、再び私は東京の本店に呼び戻されます。

本店での仕事は、日銀を代表して、国会議員と渉外を行うというものでした。これまであまり縁のなかった国会議員、不安の反面、国会議員ならばこの閉塞している日本に新しいヴィジョンを示してくれるのではないか、その期待を抱き新しい仕事を始めました。
しかし、その期待は、あっさり裏切られ、「唖然」とする毎日が続いたのです。


官僚に任せきりの政治・・・

官僚に任せきりの政治・・・

新しい仕事での私の一日の始まりは、朝6時25分の小手指駅発の西武池袋線に乗って、永田町の自民党本部に行き、「部会」といわれる会議に8時から出席することでした。
そして、その「部会」で私が見たものは、官僚の作った法律案を右から左にそのまま承認している国会議員の姿。
本来、会議とは、意見を出し合って提案されたものについて、より良い結論を導き出すものです。しかし、この「部会」では、提案されたもの(=官僚の作った法律案)がそのまま何も変わることなく結論となって会議が終わるのです。
目を疑う信じられないことの連続。国民の皆さんから選ばれて、本来ならば官僚をリードして日本国の未来を考えるべき国会議員が、官僚の作った法律案の「単なる承認機関」に過ぎなかったのです。


官僚に任せきりの政治・・・

官僚は確かに優秀です。しかし、その優秀な能力は、「現状維持・現状継続」ということに長けているのであり、「危機的経済状況をどう打開するのか」、「日本の未来をどう切り開くのか」という新たなヴィジョンを示すことは、本来、官僚には求められていません。
だからこそ国会議員がリーダーシップを取る必要があるのに、その国会議員が、官僚の承認機関になり下がっている。日本の未来を最も考えなければいけない国会議員が「思考停止」している姿を見て、私は愕然としたのです。
国民の皆さんの生活は危機的状況、自らの命を断つ人が絶えないというのに・・・。このままでは、日本経済どころか日本が持たない。日本に未来がない。


民進党という選択と決断

民進党という選択と決断

当時、小泉首相が、「自民党をぶっ壊す」との言葉の下、「改革」を推し進めているように見えました。
しかし、自民党の内部は、全く変わっていない姿を私は見続けました。自民党は、ただ「改革」という言葉に自己満足をしているだけで、実態は中途半端な「変更」を行っているに過ぎません。

「もはや自民党には、改革は出来ない」。

如何に名医であろうとも自らのお腹にメスを入れて手術することは出来ません。ましてや50年の長きにわたり「官僚丸投げ」というシステムにどっぷり浸かり、しがらみでガンジガラメになっている自民党にそもそも改革は無理だったのかもしれません
「自民党には出来ない。しかしこのままでは日本が壊れてしまう。どうすればいいのか」。その時、私が考え抜いて出した結論が、「民進党」です。

国会渉外の仕事で私は、民進党の皆さんとも議論をする機会がありました。
自民党に比べ歴史もない。政権を担った経験もない。私の目から見ても、「民進党、大丈夫なのか」と思うこともありました。


民進党という選択と決断

しかし、仮に民進党がダメだとしても、自民党に任せていいのか。私の答えは「NO」です。それは日本を衰退に導く道でしかありません。
ならば、民進党をより良い政党として、私たち国民の期待に応えられる政党に、自民党の向こうを張れる政党に、そして政権を担えるだけの政党に変えることこそが、日本の未来を明るくするための最良の方法と考えたのです。
「民進党をダメだ」というのは簡単です。しかし、仮にダメならば、その「ダメ政党」を「良き政党」に変えること、それこそ今、行わなければならないと考えたのです。


おのづか勝俊の決意

民進党という選択と決断

私の部屋の壁には、日銀に勤め始めた時に掲げた日本地図があります。私はその地図の前で、日本のために何をするべきか、何が出来るか、何をしてきたか、日々、自問自答を繰り返し、日銀で働くことこそ日本のためになると考えてきました。
しかし、国会議員との渉外の仕事を続ける中で、「民進党をより良い政党として、政権を担える政党にする」、それこそが、私たち国民、一人ひとりの生活を良くしていく、日本の未来を明るくするという考えに至り、私は日銀を辞め、35歳で政治の世界に飛び込むことを決意しました。
向こう見ずは覚悟の上です。しかし、覚悟を決めたからには何が何でも政治を変えて、日本に明るい未来を取り戻したいのです。命懸けです。

私は、100年後、200年後の未来も「日本はいい国」であり続けて欲しいのです。
このままの日本を未来に残す訳にはいかないのです。
なんとしても頑張り抜きます!





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